~これまでのあらすじ~
TOARU株式会社で働く、人事部主任の館林、財務部課長の内藤、経理部部長の関口といった三人らが主人公。彼ら・彼女は、テレワーク期間中、社内のチャットシステム上での交流がきっかけとなり、意気投合する仲になった。三人が集う場所は、遊休資産が眠る“視聴覚室”。
その一方で、主人公の一人である財務部課長 内藤アヤカは、シニア層の男性部下ミズノと経理部長 関口の部下であるA課長らと共に、自社所有資産の一つである、Z地方にある倉庫に息吹を取り戻すため、何度か現地を訪れていた。Z地方の市章である“錨”(アンカー)をヒントにした、プロジェクト展開を図ろうとしているが、謎の“白い家”の中で活動する地元の人やその世界で密かに光沢を放つ、物質“ダイヤモンドダスト”に刺激を受け、逆に学ぶ機会を得ている。
そのような動向の中、プロジェクトメンバーの一人である、A課長が突然の辞表提出をした。Z地方の魅力に惹かれたのか、移り住もうとしているのだった・・・
TOARU株式会社を退職した、A元課長の思わぬ動向。
「Aさん、なかなか筋が良いですよ。穴の掘り方もリズミカルで、繊細さが表われていますね~、ダイヤモンド達も喜んでいる様子ですよ・・・」
ここはZ地方にある“白い家”。TOARUを退職した、A元課長がまるで10年ほど前から、既に身を置いているかのように自然な姿で作業に当たっている。キラキラした謎の物質、ダイヤモンドダストの掘削に懸命で、“白い家”のスタッフさんとも、すっかり馴染んでいる。
「Aさん、どうですか?ここでの生活は・・・?ひょっとしたら、リフレッシュしたら、又、TOARUさんに戻って、活躍されるのですか?」
こんな質問をする、初老の男性。内藤と共にこの“白い家”を見つけた際、応対してくれた人だ。A元課長が、名前を聞いても『名乗るほどの者ではない』。とはぐらかされる。それとも、何か他に理由があるのか・・・?そんなモヤモヤした思いと一緒に、他の思案がA元課長の心中にある。それは、一体何か?男性の問いに丁寧に応えようとする、A元課長。
「TOARUに、戻る理由などないですよ。大切なことが解っていない組織に私がいるは必要ありません。ここでは、皆が当たり前のように、大切なことを進めていますね・・・私にとって、天国の場です」。
A元課長は、満面な美しい笑顔で言葉を発する。彼女の頬にダイヤモンドの光沢が照らしているようにも見える。男性も自然に笑顔になる。しあわせな時間と空間。そんな、しみじみとした思いにふけようとした、その時だった。A元課長の表情がシリアスな様子へと、徐々に移り変わっていった。どうしたのだろうか?男性は、言葉を探すが、見つからない。彼女の表情を見つめるしかない様子。彼女の次の言葉を静かに待つ。やがて、ゆっくりと口元を開くA元課長。
「それより、あなたに伝えたいことがあります」。
眉をひそめて、真剣な面持ちと共に低いトーンで発せられる言葉。多くの人が重要な事を打ち明ける時の表情だ。男性は、思わず下を向く。
「このZ地方に、やがてTOARUの人間がやってくるでしょう。その際、このダイヤモンドダストについては、ぜったいに、ここの財産として守ってください。揺るぎない錨でしっかりと、押さえてください」。
A元課長の言葉が終わる。又、ダイヤモンドダストの掘削に戻ろうと、彼女は手を動かし始める。そんな頃だった。男性の表情は、どういうわけか笑顔だ。
なぜなら、彼女が警鐘を鳴らす事柄は、あまりに当たり前すぎて、シリアスな事柄でも何でもなかったからだ。周囲の人たちも、ホッとしたように、二人のやり取りに気づかないフリをしながら、作業に当たっている。
“トントン”、“シャカシャカ”一定のリズムを刻む、擬音語がいつものように、白い家の中で共鳴していた。
本質とかけ離れた人事考課システムに対抗する!人事部スタッフたち。
人事部内のオフィス模様。これが通常なのか否か?どちらかと言えば、異常なのかもしれない。なぜなら、館林係長のデスクを、複数の部下たちが囲んでいるからだった。
部下達から、慕われているからこその様子なのか?彼ら彼女らは、館林のデスク上のパソコン画面を指さし、何やらプレゼンテーションをしたいらしいようだ。一体、何を・・・?
「係長、ほら、このチャット見てください。TOARUの皆が、意見発信しているのですよ。特にこれが面白いです。“マーケティング部の部長は、昔気質の性格ではあるが、我われに的を射た助言をしてくれる。よって、広く深い観点から、社員の潜在能力を俯瞰できるだろうから、人事部への異動が相応しい”
って。上司を評価して、我われに提案してくれるのです“」。
嬉々とした表情で、説明してくれている部下ではあるが、館林からすれば、意図が解らない。一体この事態は何か?困惑するしかない。そこへ、別の部下らが次々と意見発信する。
「実は私たちで、TOARUの社員らに“人事考課システム”の機能について、社内チャットを使って、要望を募集したのですよ。もちろん、シークレットパスワードを使って、上層部には知られないようにしています」。
「あんな、上層部が企画した高額な人事考課システムなんて、不要ですよ!私たちで、実態を調べたら、スカスカの仕様で、本質からずれています。断固反対します」。
「かなり高額な設備投資と伺っています。恐らく、上層部の身内が役員を務めている企業のシステムですよね?そんな取引をよく、経理や財務部も黙認していますよね」。
「このシステムばかりじゃないわよ。他にも、疑問視されるような取引がこれまでも、少なからずあったでしょう」。
「それがいやで、経理のA課長は辞めたらしいです」。
人事部員らは、館林に対し、堰を切ったように不満をぶちまけている。やがて、彼ら彼女らの声は、館林の胸中に深く浸透していった。全て正論だ。次第に強くも静かに、力強いメロディーに聞こえてきた。
決して、美しく奏でられてはいないが、清々しく鳴り響き続けている。
“それがいやで、A課長が辞めた・・・”
このワードが特に、館林の心中に鳴り響くのだった。
視聴覚室にゲスト登場!これから、どんな展開が待ち受けるのか・・・?
時は、12:30。いつもの視聴覚室に、いつもの三人が揃っていた。
まずは、内藤が言葉を発しようとするが、マスクを着けたままにもかかわらず、ため息交じりでメッセージ発信しようとしていることが、伝わってくる。関口と館林は、内藤の表情を気にしながら、言葉を待つ。
「A課長と同じ意見だと思っていたなんて、私って本当におめでたい。一緒に、『白い家』でダイヤモンドダストに触れたときは、彼女と意気投合したと思っていたのに。彼女は、ここTOARUを卒業していった・・・」
内藤のセリフを静かに聴く、関口と館林。二人は、内藤と同じような思いなのか?館林は、午前中、人事部内で部下たちが次々と、人事考課システムについて不平不満を口にしていた様子と、目の前にいる内藤の様子を重ねていた。そして、部下のセリフを思い出していた。
“かなり高額な設備投資と伺っています。恐らく、上層部の身内が役員を務めている企業のシステムですよね?そんな取引をよく、経理や財務部も黙認していますよね・・・”
内藤のため息交じりのセリフの中に、これまで、彼女が経験してきた、TOARUの経営上の取引についての情景が悶々と含まれているように感じた。
一方、関口は全く別のことを思案していたのか?内藤の表情を見ながら、こんなセリフを吐くのだった。
「内藤さん、A元課長は、TOARUの社風が合わなかったのでしょう。Z地方が彼女の居場所に相応しいのか否かは解りません。でも、私から見ても、彼女は・・・」
関口のセリフが最後まで聞こえてこない、そんな時だった。視聴覚室の扉をノックする音が聞こえた。驚く三人。ここを訪れようとする社員が他にいるのか?館林が恐る恐る、扉をゆっくり開く。一体、誰がこの扉をノックするのか?
建付けの悪さが伺える”キィー“といった音。その音の終わりに姿を現したのは、初老の男性だった。
「ミズノさん!」
内藤が思わず、声を上げた。内藤の年上部下にあたるシニア層のミズノ氏が、立っていたのだ。なぜ、この場所を誰が教えたのか・・・?館林と内藤は、顔を見合わせる。が、関口部長の表情がだんだんと笑顔になっていった。ひょっとして?
「すみません。私がミズノさんを招いたのです。二人に内緒にして、悪かったね。実は、先日の部長会議にて、この視聴覚室が論点になったのですよ。Z地方にある倉庫と同様に何らかの手を加えるか、別の機能の部屋にするか・・・そこで、今朝、出社したとき、花壇の手入れをしているミズノさんに会って・・・」
関口部長は、一生懸命にミズノさんを、この視聴覚室に招いた理由を説明していたが、内藤や館林の耳に入る余地はなかった。
もちろん、三人だけの空間といった位置付けではないし、歴とした、TOARUの持ち物の一つである部屋だ。しかしながら、大人三人の秘密基地でもあった視聴覚室に、別の人間が入り込むことについて、
関口は、何のためらいもなかったのか?
二人は、妙な感傷がこみ上げていた。まあ、大人なのだから・・・
ひょっとしたら、この三人で過ごす、視聴覚室での時間は、“卒業”を迎えるのか?
そんな思案の中、関口部長は、深いバリトンの声を発した。
「ミズノさんの協力のもと、“人事考課システム”の構築業者の入札を募ったのは私です。そして、この視聴覚室のテコ入れも・・・経理部長としたら、当然視される職務です。ええ、解っています。おかしなことだとは。もちろん、私個人としての“関口”であれば、こんなことは、していませんよ」。
関口の少し長いセリフが終えると同時に、小さな笑い声が響いてきた。それは、どんどん大きくなり、そして、明らかに誰が笑っているのかも、解った。当たり前。この部屋には、四名しかいない。
内藤と館林が嬉々として笑っていたのだ。
「関口部長!わたしだってそうですよ。“内藤”であれば、A課長みたいに、内藤ならではのスタイルで、TOARUを卒業していたかもしれないけど。育休明けで、生活もある。だから、TOARUの組織に合わせ、演技しているところがあるのよ。ミズノさんは、私の演技が解ったのでしょう。だから、上司である私ではなく、関口部長の方に歩み寄ったのですね」。
内藤のメッセージの次は、館林の番だ。
「関口部長、そんなにピュアぶらないでください。ミズノさん、よろしくお願いします」。
四名の声が徐々に和音に近づいているようだ。視聴覚室の窓から見える空は、曇り模様。でも室内は、どことなく、晴れ晴れしていた。
次回へ続く
A元課長のZ地方で取り組み。人事部内で本質に添った“人事考課システム”構築。
そして、いつもながらの展開がつづくはずであった、視聴覚室に特別ゲストのミズノさんが現れ・・・
これからも、TOARUの内外は、活気づくのでしょうか。組織の中に本音と建て前が入り組む事情は、皆が解っているでしょうが、だからこそ、“仕方がない”で、済んでいたら、つまらないし、自社全体が衰退することもありえるでしょう。なぜなら、人が組織を動かしているから。本音と建て前が入り組むから、その中での成長を考えるから、面白いのです。
次回の展開をお楽しみに!
田村夕美子