~これまでのあらすじ~
TOARU株式会社で働く、人事部係長の館林、財務部課長の内藤、そして、庶務部の備品管理室長(元経理部長)の関口といった三人らが主人公。彼ら・彼女は、テレワーク期間中、社内のチャットシステム上での交流がきっかけとなり、意気投合する仲になった。三人が集う場所は、遊休資産が眠る“視聴覚室”だ。
内藤とシニア層の男性部下ミズノ、経理課のA課長といったメンバーらは、Z地方にある自社所有資産である倉庫に息吹を取り戻すため、プロジェクトを展開しようしたが、何度か現地を訪れた中、地元の人々が、“白い家”にて、謎の物質“ダイヤモンドダスト”の発掘に精を出している姿に刺激を受ける。これが契機となり、A課長が突然の退職。今は、“白い家”で、Z地方の方と共に“ダイヤモンドダスト”の発掘を進める日々を送っている。
こうした一方で、TOARU株式会社の組織内は暗雲が立ち込めるばかりだった。高額にもかかわらず、機能性の低い人事考課システム導入の理由を会議の場で問いただした、経理部長の関口は、庶務部へと左遷された。しかしながら、主人公らは葛藤を重ねるも、現在では、前向きな有効利用を検討する方向にシフトしている。
少しでも、前進しようとする主人公たち。関口は、庶務部の備品管理室長の役目を活かし、視聴覚室内に眠る、古い楽器たちに光を当てようとしていた。
内藤は人事決定権を得るため、人事部への異動を企てている。その理由は、A元課長のカムバックしてもらい、上層部に気づかれることなく、“ダイヤモンドダスト”の正体を暴くためだ。
ただ、彼ら彼女らが思いもしないところで、事態は動いていた。A元課長は“白い家”の長老と手を組み、Z地方のバックアップも得ながら、TOARUの内部に蠢く悪しき組織を利用しようとしている。
Z地方の姉妹都市“ディール”の存在も、陰で息をひそめているようだ。
人々がスマートに活動する、オフィス模様。
「こんにちは」。
「こんにちは」。
読者の方々に向け、解かりやすく伝えるための日本語表記。国名やその位置も不明。そして、地球上に存在しているのか否か?それすらも、知る人がいない。小さなオフィス。
血色の良い人たちが、満面の笑顔で『こんにちは』。と挨拶を交わしている。これが普通?と思われた方も少なくないだろうが、そうだろうか?少し思い返してみたい。さて、私たちは職場で同僚らに対して挨拶する際、朝を除いてどんな言葉を発するか?そう。気づいただろう。その多くは、『お疲れ様』だ。冒頭にあるとおり、このオフィスでは、『こんにちは』。が通常の挨拶なのだ。
白を基調にしたオフィス回り。清潔感も溢れ、デスク上には、社員ら個々の趣味や価値観による、飾り物や写真立てなどが、置かれている。パソコンすらも、インテリアの一つにしか見えない。
ただ、白いデスクに向かう社員ら皆、それぞれが、活き活きとした表情をしている。誰も猫背の者がいない。キーボードを叩く音色も軽やかなトーンで、一定のリズムを刻んでいる。
女性らしき社員が立ち上がる。いや、性別など何でも良いだろう。身に着けているオレンジ色のショールが揺れる。TOARUのみならず、日本の多くのビジネスパーソンであれば、少し驚くかもしれない光景。皆それぞれが、個性が利いた服装に身を包んでいる。トレーニングウエアや作務衣等々・・・ところが、このオフィス空間では、まったく違和感がないのだ。
立ち上がった社員がセリフを口にする。
「今日は、私が司会します。そして、成果を語るのは・・・?そうでした。花子さんでしたね」。
花子さんという人は、これからどんな“成果”を語るのか?ショールを身に着けた社員は、相変わらず、満面の笑顔を崩さない。これから、花子さんが自身の成果をプレゼンするため、司会進行を担うようだ。彼か彼女が右手に抱えているタブレットも、服と共色のオレンジだ。そのタブレットの裏面には、何やら英語表記がされている。
“DEAL”。(ディール)と。
人事部係長 館林のつぶやき&ため息
「これで、まあまあの運用が出来るかな?」
とつぶやくのは、人事の館林係長だ。時刻は、18:30。残業ゼロがモットーではあるが、近頃、集中力が続かないことが多い。だからなのか、終業時刻が過ぎても、すぐに椅子から離れられなくなった。
彼のデスク上のPC画面は、例の人事システムのメインメニューが全開している。上層部の息が掛かった取引先からの発注。かなり高額な上に現場の担当者が運用するには、使い勝手が悪い。そうは言っても、導入されてしまったのだから、今後の係長としての職務は、どうしたら部下らがやりやすいような運用が出来るか、そして、全社員らにとっても、良好に機能するか検討・実行することだろう。彼がため息交じりで、席を立ち、帰り支度をしようとした頃だった。ドアのノック音が人事部に静かに響いた。ノックする者が誰なのか、予想がつく。何となく、表情に笑みが浮かぶ。ドアを開ければ、気持ちがホッとする同僚が立っているのだろう。彼がサッとドアを引くと、やはり予想通りの人物がそこに立っていた。
「お疲れ様。どう?一緒にピザ饅食べない?」
やはり、財務課長の内藤アヤカが立っていた。彼女の右手には、小さなエコバック。その中になぜか、“ピザ饅”が入っているらしい。チーズとトマトソースが醸し出す、ピザの薫りが人事部室内に立ち込めた。館林は、デスクの右下の引き出しから、買い置きのペットボトルのお茶を2本取り出し、その内、1本を彼女に向かって、差し出す。左手を出して、受け取るような仕草を見せながら、人事部内のオフィスに入る内藤。そこで、漸く彼女が言葉を発した。
「1か月後は、こうやって館林さんと、終業時間後を過ごす日々になっているのかな?えーと、私のデスクはどこになるのかしら?」
館林は、無言で笑う、あえて彼女に対して返答などしない。その理由は彼の予想通りだからだ。内藤は人事部へ異動願いを出したのだ。ここは、彼女の演説を傾聴するところだろう。彼女も話したい様子だ。
「Z地方に行ってこようと思う。人事課として、A元課長をこのTOARUに引き戻そうと思うの」。
ピザ饅を頬張りながら、館林は彼女の話をじっくりと聞いている。人事部内が居心地の良い空間に感じられた。
来月から、内藤が人事部課長となって、館林らを率いる体制なのだろう。何だかワクワクする館林だった。そんな時、館林の机上にあるパソコン画面にアラートが表れていた。二人は気づいていない・・・
視聴覚室内でミズノとの雑談
庶務部の備品管理室長、関口の額が汗で光っている。艶のある表情で、彼は視聴覚室内の整理整頓を進めている。遊休資産との表現が相応しいのか、いぶし銀の楽器たちは、それぞれの光沢色を表している。いつか、日の目を浴びることを楽しみにしているように感じられる、楽器たち。
関口にノンアルコールビールを差し出すのは、ミズノだ。時刻は19:00。終業時刻を超えているのだから、問題はないだろう。関口は『どうも』。とお礼を返すと、缶を開け、ゴクゴクと半分ほど飲んだ。
ミズノもノンアルコールビールを少し口にしながら、関口に話しかける。少し表情はシリアスながらも、顔色は艶めいている。
「内藤課長が財務から、人事部への課長になりそうな動きです。私は内藤課長からの最後の指令ということで、ダイヤモンドダストの成分調査会社を見つけました。X線検査や発光分析をしてくれるところで、信用できそうです」。
いよいよ、展開していくのか?ダイヤモンドダストの有効利用計画。Z地方の人達とも、有効に関わりながら、進めていく必要があるだろう。Z地方にある倉庫は、ライブハウスにしたらどうだろう?関口は諸々思案している。アルコールは入っていないのだが、ほろ酔い気分なのか?
シニア層のミズノだからなのか、彼は関口の思案が解かっているようだ。高揚モードの空気感が少し変わるようなセリフを吐く。
「ダイヤモンドダストの詳しい成分は、まだ何もわかっていません。確かにZ地方にある白い家の人達が熱心に掘削しているのですから、価値は高いのかもしれません・・・」
いつも穏やかなミズノが珍しく、真摯な表情で関口に問う。関口も彼の様子の変化に気づき、手に持っている缶を静かにデスク上に置く。
「花壇の手入れをしながら、TOARUの皆さんをずっと見ていました。花壇について、まったく興味を示さない方や、声を掛けてくださる方、色々。様々な方々がTOARUで働いていらっしゃいますが、どこかしら、弱さや憂いを感ずるのですよ。すみません、失礼な物言いでしたよね・・・」
正論だと、関口は思った。内向きで弱いからこそ、多くの社員らが、このTOARUでは憂いのある表情を浮かべて、仕事に当たっている。ただ、我々はどこかで違う、そう思いたい。
我々とは、内藤と館林、そして、自身だ。
ミズノは、そんな関口の思いを見抜いているようだ。そして、一撃のような言葉を吐く。
「ダイヤモンドダストの本当の価値について、どなたか調査しようとしていたのでしょうか?結局、自分以外の誰かがやると思っていたのですか?」。
ミズノの的を射た意見は、関口の精神を一気に洗浄するかのような勢いが感じられた。視聴覚室の窓から見える空は何となく、オレンジ色に見える。時間的に夕日ではない、やがて、奇妙な光を帯びながら、
視聴覚室内に差し込むのだった。
次回につづく・・・