くもと編集
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宝飾業界と広告会社を経て2008年 FOC入社。営業や制作ディレクターを経験し、現在はWebマーケティング担当兼当コンテンツの編集を担当。
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人的資本経営とは、従業員を「コスト」ではなく「投資すべき資本」と捉え、その価値を最大限に引き出すことで企業の持続的な成長につなげる経営手法です。
本記事では、人的資本経営の定義から注目される背景、経済産業省が示す「3つの視点・5つの共通要素(以下、3P・5Fモデル)」、上場企業に義務付けられた情報開示19項目、そして実践ステップまでをわかりやすく解説します。人的資本経営の導入を検討している担当者の方はもちろん、基礎から体系的に理解したい方にも役立つ内容です。
この記事の目次
人的資本経営とは、従業員を「コスト(費用)」としてではなく、企業の成長を支える「資本(投資対象)」として捉え、人材への積極的な投資を通じて企業価値を持続的に高めていく経営の考え方です。
従来の経営では、人件費は削減すべきコストとみなされることが多くありました。しかし人的資本経営においては、人材を組織の競争優位性を生み出す源泉と位置づけ、教育・育成・働き方改革・ダイバーシティ推進などへの投資が、将来の企業価値向上につながると考えます。
日本では経済産業省が2020年に公表した「人材版伊藤レポート」をきっかけに、この概念が急速に広まりました。さらに2023年3月期以降、有価証券報告書への人的資本情報の記載が上場企業等に義務化されたことで、経営課題として取り組む企業が急増しています。
また、2026年3月、政府は「人的資本可視化指針」を改訂し、単なる指標の開示から、経営戦略との連動を重視する方向へ転換しました。
「人的資本(Human Capital)」と「人的資源(Human Resource)」は、どちらも企業における人材を指す言葉ですが、その根本的な概念は大きく異なります。
人的資源という言葉は、人材を「企業活動に必要な経営資源のひとつ」として捉えており、ヒト・モノ・カネ・情報という4大経営資源のひとつに位置づけられます。この文脈では、人材はあくまでも「管理・配分すべき資源」です。
一方、人的資本という言葉は、人材を「投資によって価値が増大する資本」として捉えます。資本とは、運用・投資によって価値が増殖するものであり、人材に教育や経験を積ませることで、その能力・知識・スキルが高まり、最終的に企業の生産性や競争力の向上に貢献するという考え方です。
以下の表に、両者の違いをまとめます。
| 比較項目 | 人的資源(Human Resource) | 人的資本(Human Capital) |
|---|---|---|
| 人材の位置づけ | 管理・配分すべき経営資源 | 投資によって価値が増大する資本 |
| 人件費の考え方 | 削減すべきコスト | 将来価値を生む投資 |
| 人材戦略の目的 | 業務遂行のための人材確保・配置 | 企業価値向上のための能力開発・活用 |
| 主な管理対象 | 人数・コスト・労務管理 | スキル・エンゲージメント・育成・多様性 |
| 情報の扱い方 | 社内管理・非開示が基本 | 社外への積極的な情報開示が求められる |
人的資本経営への移行は、単なる人事部門の課題ではなく、経営戦略そのものの転換を意味します。人材をコストとして管理する発想から、投資対象として価値を最大化していく発想へのシフトが、現代企業に求められている本質的な変化です。
なお、人的資本という概念自体は経済学者のゲイリー・ベッカーやセオドア・シュルツが提唱した理論に端を発しており、個人が教育や訓練を通じて自らの生産能力を高めることを「投資」と定義したことが原点です。このミクロ経済学の概念が、現代の企業経営に応用されたものが「人的資本経営」と呼ばれる考え方です。
人的資本経営が日本企業の間で急速に注目を集めるようになったのは、社会・経済・テクノロジーの複合的な変化が重なったためです。単なるトレンドではなく、企業が持続的に成長するための必然的な経営シフトとして捉えることが重要です。以下では、人的資本経営が注目される主な4つの背景を解説します。
かつての産業社会では、土地・設備・原材料といった「有形資産」が企業価値の大部分を占めていました。しかし、情報化社会・知識社会への移行が進むにつれて、企業価値の構成要素は大きく様変わりしています。
米国の調査機関であるOcean Tomoの調査によれば、S&P500企業における無形資産の割合は1975年時点では約17%に過ぎませんでしたが、2020年には約90%にまで拡大したとされています。日本企業においても同様の傾向が見られており、ブランド価値・特許・ノウハウ・組織文化・人材といった無形資産が企業の競争力を左右する時代になっています。
なかでも「人材」は、他の無形資産を生み出す源泉として位置づけられます。人材が持つ知識・スキル・創造性・経験こそが、イノベーションを生み、企業の持続的成長を支えるという認識が世界的に広まっています。こうした背景から、人材を「コスト」ではなく「資本(投資対象)」として捉え直す人的資本経営への関心が高まりました。
近年、世界的にESG(環境・社会・ガバナンス)を重視した投資が拡大しています。ESG投資においては、財務情報だけでなく、企業が環境・社会・ガバナンスの各観点でどのような取り組みを行っているかという非財務情報が重要な判断材料となります。
人的資本に関する情報は、ESGの「S(社会)」に分類される代表的な非財務情報であり、投資家が企業価値を測る上で不可欠な指標として注目されています。
また、2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の普及も、企業に対して人材の多様性・公平性・包摂性(DE&I)や、ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)への取り組みを求める圧力を高めています。
さらに、2020年には米国証券取引委員会(SEC)が上場企業に対して人的資本に関する情報開示を義務化し、ISO(国際標準化機構)は2018年に人的資本の情報開示に関する国際規格「ISO 30414」を発行しました。
こうした国際的な動向が日本の制度整備にも影響を与え、2023年3月期決算から有価証券報告書における人的資本情報の開示が義務化される流れにつながっています。
| 動向 | 内容 | 時期 |
|---|---|---|
| ISO 30414 | 人的資本の情報開示に関する国際規格が発行 | 2018年 |
| SECによる開示義務化 | 米国証券取引委員会が上場企業に人的資本情報の開示を義務化 | 2020年 |
| 人材版伊藤レポート | 経済産業省が人的資本経営の考え方・実践方法を提示 | 2020年 |
| コーポレートガバナンス・コード改訂 | 人的資本への投資・多様性確保の方針開示が盛り込まれる | 2021年 |
| 「人的資本可視化指針」公表 | 内閣官房が人的資本情報の開示に関する指針を公表 | 2022年 |
| 有価証券報告書への記載義務化 | 金融商品取引法の改正により、人的資本情報の開示が上場企業に義務化 | 2023年(2023年3月期決算から適用) |
日本は世界でも類を見ない速度で少子高齢化が進んでおり、生産年齢人口(15〜64歳)の減少が続いています。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、日本の生産年齢人口は今後も減少し続ける見通しであり、企業にとっての人材確保・定着・活躍が経営上の最優先課題となっています。
こうした労働力不足の深刻化を背景に、政府は「一億総活躍社会」「働き方改革」「女性活躍推進」「高齢者雇用促進」「外国人材の活躍推進」など、多様な人材が活躍できる社会の実現に向けた政策を矢継ぎ早に打ち出しています。企業においても、性別・年齢・国籍・障がいの有無・性的指向などにかかわらず多様な人材が活躍できる環境整備が急務となっています。
また、新型コロナウイルス感染症の拡大を契機としてリモートワーク・ハイブリッドワーク・副業・フリーランスといった多様な働き方が急速に普及したことも、企業が従業員の働き方や価値観・エンゲージメントをより細かく把握・管理する必要性を高めています。人材を個々の能力・価値観・キャリア志向に応じて適切に配置・育成・活用するという人的資本経営の考え方は、こうした時代の変化に対応する経営手法として不可欠なものとなっています。
AI(人工知能)・IoT・ビッグデータ・クラウドコンピューティングなどの急速な技術革新(DX:デジタルトランスフォーメーション)は、ビジネスモデルや業務プロセスを根本から変えつつあります。これまで人間が担ってきた定型業務の多くが自動化・省力化される一方、創造的思考・問題解決・コミュニケーション・リーダーシップといった人間固有の能力の重要性が増しています。
さらに、現代はVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)の時代と表現されるように、経営環境の変化が激しく、将来の予測が困難な状況が続いています。このような環境下では、変化に素早く適応できる人材の育成・確保が企業の競争力を直接左右します。
従来の「必要なときに必要な人材を採用する」という受動的な人事管理(Human Resource Management)では、こうした変化のスピードに対応することが困難です。経営戦略と人材戦略を連動させ、中長期的な視点で人材ポートフォリオを設計・管理するという人的資本経営の考え方は、VUCA時代において企業が持続的に成長するための戦略的アプローチとして、多くの経営者・人事担当者に支持されるようになっています。
| 背景 | 企業への影響 | 人的資本経営との接続 |
|---|---|---|
| 無形資産の重要化 | 企業価値における人材・知識・文化の比重が増大 | 人材を「資本」として捉え、投資効果を測定・開示する必要性 |
| ESG投資・SDGsの拡大 | 非財務情報の開示・人材関連データの整備が求められる | 投資家への人的資本情報の透明な開示 |
| 少子高齢化・多様な働き方 | 人材確保・定着・活躍が経営課題に | 多様な人材を活かす組織づくりとエンゲージメント向上 |
| デジタル化・VUCAの時代 | 変化への適応力・イノベーション創出力が競争優位の源泉に | 経営戦略と連動したリスキリング・人材ポートフォリオの設計 |
人的資本経営を実践するうえで、多くの企業が参照するフレームワークが「3P・5Fモデル」です。これは経済産業省が公表した「人材版伊藤レポート 2.0」において提示されたもので、経営戦略と人材戦略をいかに連動させるかを体系的に整理するための枠組みです。
「3P」は3つの視点(Perspectives)を、「5F」は5つの共通要素(Factors)を指し、両者を組み合わせることで、自社の人材戦略を構造的に設計・実行するための指針となります。
人材版伊藤レポートとは、経済産業省の委託を受けた「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」が2020年に公表した報告書「人材版伊藤レポート」、およびその実践編として2022年に公表された「人材版伊藤レポート2.0」の総称です。一橋大学の伊藤邦雄氏が座長を務めたことから、この名称で広く知られています。
同レポートは、企業が「人材を資源(コスト)」として捉えるのではなく、「人材を資本(投資対象)」として捉え、中長期的な企業価値向上につなげることを強く訴えています。特に人材版伊藤レポート2.0では、先進企業の取り組み事例を踏まえながら、3P・5Fモデルという具体的なフレームワークが提示されており、日本企業が人的資本経営を実践するための実務的な道標として位置づけられています。
人材版伊藤レポートが注目される背景には、従来の「ヒト・モノ・カネ」という経営資源の中で、とりわけ「ヒト」への投資が企業の競争力や持続的成長を左右するという認識の高まりがあります。経営者・取締役会・投資家のそれぞれが、人材戦略を経営アジェンダの中心に据えることを求めている点が、同レポートの大きな特徴です。
3P(3つの視点)とは、人材戦略を経営戦略と連動させる際に企業が持つべき3つの観点のことです。この3つの視点は、人材戦略の設計・実行・評価のすべてのフェーズにわたって一貫して意識されるべきものとされています。
| 視点 | 英語名 | 概要 |
|---|---|---|
| 経営戦略と人材戦略の連動 | Perspective 1 | 企業が掲げる経営戦略の実現に向けて、人材戦略が一体的に設計・運用されているか。人材戦略は経営戦略の「手段」として機能する必要がある。 |
| As is-To beギャップの定量把握 | Perspective 2 | 経営戦略の実現に必要な人材の「あるべき姿(To be)」と「現状(As is)」のギャップを定量的に把握し、そのギャップを埋めるための施策を明確にする。 |
| 企業文化への定着 | Perspective 3 | 人材戦略の取り組みを一時的な施策に終わらせず、企業文化・組織風土として根付かせることで、持続的な変革を実現する。 |
特に重要なのが「経営戦略と人材戦略の連動」です。人材戦略が経営戦略と切り離されたまま独立して機能している状態では、真の意味での人的資本経営とは言えません。取締役会・経営陣・CHROが一体となって、人材に関する意思決定を経営の最重要事項として扱う体制を整えることが求められます。
5F(5つの共通要素)とは、人材戦略を実践するうえで各企業が取り組むべき具体的な施策領域を指します。業種・規模を問わず、人的資本経営を推進するすべての企業に共通して求められる要素として整理されています。
| 要素 | 英語名 | 主な取り組み内容 |
|---|---|---|
| 動的な人材ポートフォリオ | Factor 1 | 経営戦略の変化に応じて、必要なスキル・人材構成を継続的に見直す。固定的な人員配置ではなく、事業環境の変化に対応できる柔軟な人材ポートフォリオを構築する。 |
| 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン | Factor 2 | 性別・年齢・国籍・バックグラウンドの異なる多様な人材を受け入れ、それぞれの知識・経験・視点を組み合わせることで、イノベーション創出につなげる。 |
| リスキリング・学び直し | Factor 3 | デジタル化や市場変化に対応するため、既存社員のスキルを継続的にアップデートする。自律的な学びを促す環境整備や、学習機会の提供が求められる。 |
| 従業員エンゲージメント | Factor 4 | 従業員が企業のビジョン・目標に共感し、自発的に貢献しようとする状態を高める。エンゲージメントの向上は生産性や離職率の改善にも直結する。 |
| 時間・場所にとらわれない働き方 | Factor 5 | リモートワーク・フレックスタイム・副業解禁など、多様な働き方を制度として整備することで、優秀な人材の確保・定着と生産性向上を両立させる。 |
この5つの要素は、いずれもが独立して機能するものではなく、相互に連関しています。
たとえば、リスキリングによって従業員のスキルセットが拡張されれば、動的な人材ポートフォリオの再構成がより柔軟に行えるようになります。また、ダイバーシティ&インクルージョンの推進は従業員エンゲージメントの向上とも密接に結びついています。
3P・5Fモデルは、あくまで「共通の枠組み」であり、すべての企業が同一の施策を実施することを求めるものではありません。重要なのは、自社の経営戦略・事業環境・競争優位の源泉を踏まえたうえで、5つの共通要素の中からどの領域を優先的に強化するかを判断し、3つの視点を軸に一貫したストーリーとして人材戦略を設計することです。
また、経済産業省の人的資本経営の実現に向けた検討会では、このフレームワークを活用して人材戦略を構築した先進企業の事例も多数紹介されており、自社の取り組みを設計する際の参考として活用することが推奨されています。
3P・5Fモデルを正しく活用することで、人事部門単独の取り組みにとどまらず、経営レベルで人材への投資判断が行われる体制を整えることができます。これが、人的資本経営を「形式的な開示対応」ではなく「企業価値向上の実践的な手段」として機能させるための出発点となります。
人的資本経営は、義務的な情報開示への対応という側面だけで語られることも少なくありませんが、本質的には企業が中長期的に競争優位を築くための経営戦略です。ここでは、人的資本経営に本気で取り組むことで企業が享受できる5つの代表的なメリットを解説します。
人的資本経営の根幹は、「人材をコストではなく投資対象として捉える」発想の転換にあります。これまでの人事管理では、研修費や採用費は削減すべきコストとみなされる傾向がありました。しかし人的資本経営の考え方を導入すると、どの人材に・どのスキル開発を・どれだけ投資するかを、経営戦略と連動して意思決定できるようになります。
たとえば、DX推進を経営戦略の柱に据えている企業であれば、デジタル人材の育成・確保に重点投資することで、戦略の実現速度を高めることができます。人材投資の対象と規模を戦略的に絞り込めるため、投資の費用対効果(ROI)が明確になり、無駄なコストを削減しながら組織全体の生産性を高められる点が大きなメリットです。
また、従業員一人ひとりのスキルや経験を可視化・データ化することで、適材適所の人材配置が実現しやすくなります。これにより、個人のパフォーマンスが最大化され、チームや組織全体のアウトプット向上にもつながります。
| 従来の人材管理(コスト視点) | 人的資本経営(投資視点) |
|---|---|
| 研修・採用費は削減対象 | 研修・採用費は将来価値を生む投資 |
| 人事施策と経営戦略が分断されやすい | 人材戦略と経営戦略が連動している |
| 人材配置の根拠が属人的・感覚的 | データに基づいた戦略的な人材配置が可能 |
| 投資対効果が不透明 | KPIを通じて投資効果を定量的に測定できる |
人的資本経営に積極的に取り組み、その内容を社外へ発信することは、企業のブランド力強化に直結します。特に、人材育成への投資方針・キャリア支援の充実度・働き方の柔軟性・ダイバーシティへの姿勢などを具体的に開示している企業は、求職者から高い評価を受けやすくなります。
労働市場における人材獲得競争が激化するなか、給与水準だけで優秀な人材を引きつけることは難しくなっています。「この会社で働くとどう成長できるか」「自分の能力が正当に評価される環境か」といった点を重視する求職者が増えており、人的資本に関する情報の透明性がそのまま採用ブランドの強さに反映されます。
さらに、社内の従業員が「自社は人材を大切にしている」と実感できれば、自発的な口コミや紹介採用(リファラル採用)が生まれやすくなり、採用コストの削減と採用の質の向上を同時に実現できます。
近年、ESG投資の拡大を背景に、機関投資家を中心に企業の非財務情報への関心が急速に高まっています。人的資本に関する情報はその中核を担うものとして位置づけられており、開示内容の充実度が株価や資金調達のしやすさに影響を与えるケースも出てきています。
具体的には、人材育成への投資額・離職率・エンゲージメントスコア・女性管理職比率・スキル習得状況といったデータを体系的に開示している企業は、投資家から「持続的な価値創造ができる企業」として評価されやすくなります。
また、取引先や顧客、地域社会などのステークホルダーに対しても、人を大切にする経営姿勢を示すことは信頼醸成につながります。サプライチェーン全体でのサステナビリティ対応が求められる現代において、人的資本経営への取り組みは企業間取引における競争力の一因ともなっています。
人的資本経営において、従業員エンゲージメントの向上は目的であり、同時に成果指標でもあります。エンゲージメントとは、従業員が会社のビジョンや目標に共感し、自発的に貢献しようとする意欲の高さを指します。
人的資本経営では、経営戦略と人材戦略をつなぎ、その全体像を従業員に対してもわかりやすく伝えることが求められます。「会社がどこを目指しているのか」「自分の仕事がどう貢献しているのか」が明確になると、従業員は仕事への意味や目的を感じやすくなり、エンゲージメントが自然と高まります。
エンゲージメントの向上は、生産性の向上・欠勤率の低下・離職率の低下といった具体的な経営成果と強い相関があることが、複数の調査で確認されています。特に、優秀な人材ほど「やりがいのある環境・成長できる機会」を求める傾向があるため、エンゲージメントの高い職場環境は人材の定着率向上にも直接寄与します。
| エンゲージメントが低い状態 | エンゲージメントが高い状態 |
|---|---|
| 指示された業務をこなすのみ | 自発的に改善・創意工夫を行う |
| 離職リスクが高まる | 定着率・継続意向が高まる |
| 顧客満足度が下がりやすい | 顧客への提供価値が向上しやすい |
| 組織の変化への抵抗感が強い | 変化・チャレンジを前向きに受け入れる |
人的資本経営を推進するうえで不可欠なのが、従業員のスキル・経験・資格・パフォーマンスなどを体系的にデータとして把握・管理することです。
これまで多くの企業では、人材に関するデータが部署ごとに分散していたり、担当者の記憶や感覚に依存していたりするケースが多く見られました。
タレントマネジメントシステムや人事データベースを活用して従業員の能力を可視化することで、以下のような具体的な効果が生まれます。
能力の可視化は、個人にとっても自身のキャリアパスを描きやすくなるという利点があります。会社が自分のスキルや実績をきちんと把握・評価していると感じることで、従業員の信頼感やモチベーションの向上にもつながります。
以上の5つのメリットは独立したものではなく、相互に連動しています。人材投資の最適化がエンゲージメントを高め、エンゲージメントの向上が企業ブランドを強化し、それが投資家評価や採用力の向上に波及するという好循環を生み出すことが、人的資本経営の真の価値といえます。
人的資本経営を推進するにあたり、企業には人材に関する情報を社内外のステークホルダーに適切に開示することが求められます。開示の目的は単なるコンプライアンス対応にとどまらず、経営戦略と人材戦略の連動性を投資家・従業員・社会に示し、企業の持続的な成長への信頼を醸成することにあります。ここでは、国内のガイドラインが示す開示項目の全体像を解説します。
日本における人的資本情報の開示整備は、2022年を境に大きく加速しました。2022年8月、内閣官房は「人的資本可視化指針」を公表し、企業が人的資本情報を開示する際の考え方と具体的な枠組みを提示しました。同指針は、国際規格であるISO 30414等の考え方を踏まえつつ、日本独自の分類として独自に7カテゴリー・19項目を整理しています。
さらに金融庁は、2023年3月期(2022年度)決算より、上場企業等を対象に有価証券報告書への人的資本情報の記載を義務化しました。企業は「人材育成方針」「社内環境整備方針」とそれらに関連する指標・目標・実績を記載することが求められています。加えて、女性活躍推進法および育児・介護休業法の改正を踏まえ、一定規模以上の企業には女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金格差の3指標の開示が義務付けられています。
人的資本可視化指針は、義務項目に加えて企業が自社の事業特性や戦略に応じて独自の指標を追加することも推奨しています。重要なのは各指標を経営戦略に紐づけたストーリーとして投資家に伝えることであり、「開示のための開示」とならないよう注意が必要です。
人的資本可視化指針が定める開示項目は、7つのカテゴリーのもとに計19項目で構成されています。以下の一覧表に全項目とその概要をまとめました。
| カテゴリー | No. | 項目名 | 開示内容の概要 |
|---|---|---|---|
| ①リーダーシップ | 1 | リーダーシップ | 経営トップ・管理職による人的資本投資へのコミットメントの明示、リーダーシップパイプラインの構築・育成状況 |
| ②育成 | 2 | 育成 | 従業員のスキルアップ・キャリア開発を支援する研修制度・OJTの整備状況、一人当たり研修費用・研修時間などの実績 |
| 3 | スキル・経験 | 従業員が保有するスキルや経験のポートフォリオ、リスキリング・リカレント教育への取り組みと成果 | |
| ③エンゲージメント | 4 | エンゲージメント | 仕事への熱意・組織へのコミットメントを測る従業員エンゲージメントスコアや従業員満足度調査の結果・スコアの推移 |
| ④流動性 | 5 | 採用 | 採用数・採用コスト・内定承諾率など、必要な人材を確保するための採用活動の実績と戦略 |
| 6 | 維持 | 離職率・定着率・平均勤続年数など、優秀な人材を組織に留めるための施策と実績 | |
| 7 | サクセッション | 経営幹部・重要ポストの後継者育成計画(サクセッションプラン)の策定率や実行状況 | |
| ⑤ダイバーシティ | 8 | ダイバーシティ | 性別・年齢・国籍・障がいなど多様な人材の登用・活躍推進状況、女性管理職比率・外国人従業員比率・障がい者雇用率など |
| 9 | 非差別 | 採用・評価・処遇における差別の排除と公正な機会提供を確保するための方針・取り組み・実績 | |
| 10 | 育児休業 | 育児休業の男女別取得率・取得期間、仕事と育児を両立できる職場環境の整備状況 | |
| ⑥健康・安全 | 11 | 精神的健康 | ストレスチェックの実施率・高ストレス者比率、メンタルヘルスケアの体制・専門相談窓口の整備状況 |
| 12 | 身体的健康 | 定期健康診断の受診率・有所見率、保健指導の実施状況や生活習慣病予防プログラムへの取り組み | |
| 13 | 安全 | 労働災害発生件数・度数率・強度率、安全衛生管理体制と職場の安全確保に向けた施策 | |
| ⑦労働慣行 | 14 | 労働慣行 | 時間外労働時間・有給休暇取得率・フレックスタイム活用状況など、適正な労働慣行の実態と改善への取り組み |
| 15 | 児童労働・強制労働 | 自社およびサプライチェーン全体における児童労働・強制労働の防止方針と実地監査・是正措置の体制 | |
| 16 | 賃金の公正性 | 男女間賃金格差の開示、同一労働同一賃金の実現に向けた公正な報酬体系の整備状況 | |
| 17 | 福利厚生 | 健康保険・退職金・育児支援・住宅手当など、従業員向け福利厚生制度の内容と利用実績 | |
| 18 | 団体交渉 | 労働組合との対話・団体交渉の実施状況、労使協議を通じた課題解決の取り組み | |
| 19 | コンプライアンス・倫理 | 法令遵守・倫理規程の整備状況、ハラスメント防止施策・内部通報制度の運用実績 |
7つのカテゴリーごとに、各項目の開示ポイントと実務上の留意事項を解説します。
「リーダーシップ」では、経営トップや管理職が人的資本への投資を経営アジェンダとして明示的にコミットしているかを示します。
具体的には、CEOが統合報告書や有価証券報告書の中で人材戦略に言及するメッセージを発信しているか、取締役会・経営会議において人材に関する議題が定期的に取り上げられているかなどが評価の対象となります。
また、将来の経営幹部候補を計画的に育成するリーダーシップパイプラインの構築状況も、開示の対象に含まれます。経営層が人的資本を「コスト」ではなく「投資対象」として位置づけているかどうかを、投資家に対して明確に示すことが求められます。
「育成」カテゴリーは、「育成」と「スキル・経験」の2項目で構成されます。「育成」では、従業員一人ひとりのキャリア開発を支援する研修制度・OJT・メンター制度などの整備状況と、一人当たりの年間研修費用・研修時間・研修受講率といった定量データの開示が求められます。
「スキル・経験」では、従業員が保有するスキルセットや専門資格の状況を把握・可視化し、事業戦略上必要なスキルとのギャップを踏まえたリスキリング・リカレント教育への取り組みを示します。DX推進に伴うデジタルスキルの習得支援や、専門職向けの資格取得制度などが代表的な開示例として挙げられます。
「エンゲージメント」では、従業員が自社の仕事や組織にどれだけ熱意・愛着を持っているかを定量的に示します。
従業員エンゲージメントサーベイや従業員満足度調査によって測定したスコアの水準と年度推移、スコア向上に向けた施策の内容が主な開示事項です。
エンゲージメントは離職率や労働生産性と強い相関があることが知られており、投資家が企業の人的資本の健全性を判断するうえで注目度の高い指標の一つです。調査設計の方法論や回答率も合わせて開示すると、信頼性の高い情報として評価されます。
「流動性」カテゴリーは、「採用」「維持」「サクセッション」の3項目で構成されます。
「採用」では、計画通りに必要な人材を確保できているかを示す採用数・採用コスト・内定承諾率・採用チャネル別の実績を開示します。
「維持」では、離職率・定着率・平均勤続年数など、人材を組織に引き留めるための施策と成果を示します。
「サクセッション」では、経営幹部・重要ポストの後継者育成計画(サクセッションプラン)の策定率と実行状況を開示し、組織の持続的な競争力を担保していることをステークホルダーに伝えます。
特に後継者育成は経営リスク管理の観点からも機関投資家の関心が高い領域です。
「ダイバーシティ」カテゴリーは、「ダイバーシティ」「非差別」「育児休業」の3項目で構成されます。
「ダイバーシティ」では、性別・年齢・国籍・障がいの有無といった属性の多様性を示す指標(女性管理職比率・外国人従業員比率・障がい者雇用率など)を開示します。
「非差別」では、採用・評価・報酬などの場面において差別が生じないよう方針を整備し、その実効性を具体的に示します。
「育児休業」では、男女別の育児休業取得率・平均取得期間を開示し、仕事と育児を両立しやすい職場づくりへの取り組みを示します。男性育児休業取得率は有価証券報告書への義務開示項目にも含まれており、特に重要な指標として位置づけられています。
「健康・安全」カテゴリーは、「精神的健康」「身体的健康」「安全」の3項目で構成されます。
「精神的健康」では、労働安全衛生法に基づくストレスチェックの実施率・高ストレス者比率や、メンタルヘルス相談窓口の整備状況を示します。
「身体的健康」では、定期健康診断の受診率・有所見率や特定保健指導の実施状況を開示します。
「安全」では、労働災害発生件数・休業度数率・強度率を定量的に示し、ゼロ災害に向けた安全衛生管理体制の取り組みを伝えます。近年は、これらを統合した健康経営の文脈で開示する企業も増加しており、経済産業省が認定する「健康経営優良法人」への選定状況を合わせて示す企業も見られます。
「労働慣行」カテゴリーは最も項目数が多く、「労働慣行」「児童労働・強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「団体交渉」「コンプライアンス・倫理」の6項目で構成されます。
「労働慣行」では、月間時間外労働時間・有給休暇取得率・フレックスタイム制度の活用状況など、働き方の実態を示します。
「児童労働・強制労働」では、自社のみならずサプライチェーン全体を対象とした防止方針と監査体制を開示します。
「賃金の公正性」では、男女間賃金格差の状況と是正に向けた取り組みを示します(有価証券報告書への義務開示項目)。
「福利厚生」では健康保険・退職金・育児支援などの制度内容と利用実績、「団体交渉」では労働組合との協議状況、
「コンプライアンス・倫理」ではハラスメント防止策・内部通報制度の運用実績をそれぞれ開示します。
前述の19項目は、必ずしもすべてを一律に開示しなければならないものではありません。人的資本可視化指針は、義務開示項目と任意開示項目を区別したうえで、企業が自社の経営戦略・事業特性・ステークホルダーのニーズに応じて開示内容を選択・設計することを推奨しています。
有価証券報告書への義務記載が求められる主な項目は以下のとおりです。
| 記載事項 | 具体的な開示内容 | 主な対象企業 |
|---|---|---|
| 人材育成方針・社内環境整備方針 | 方針の内容、関連する指標・目標・実績 | 有価証券報告書提出義務のある上場企業等 |
| 女性管理職比率 | 管理職に占める女性の割合(%) | 常時雇用労働者301人以上の企業(女性活躍推進法) |
| 男性育児休業取得率 | 男性従業員の育児休業取得率(%) | 常時雇用労働者1,000人超の企業(育児・介護休業法) |
| 男女間賃金格差 | 男性賃金に対する女性賃金の割合(%) | 常時雇用労働者301人以上の企業(女性活躍推進法) |
任意開示においては、他社の開示事例を単純に模倣するのではなく、「自社はどのような人材を必要としているか」「その人材をどのように確保・育成・活躍させるか」というストーリーを軸に、自社固有の指標を選定することが重要です。
目標水準・実績・今後の改善計画をセットで開示することで、情報の透明性が高まり、投資家や求職者からの評価向上につながります。開示内容は毎年見直し、PDCAサイクルを回しながら精度を高めていく姿勢そのものが、人的資本経営の実践度を示す証左ともなります。
人的資本経営を実践するにあたっては、場当たり的な施策の積み重ねではなく、経営戦略と人材戦略を一本の線でつなぐ体系的なアプローチが求められます。以下では、経済産業省が公表した人材版伊藤レポート 2.0の考え方をベースに、実践的なステップを、順を追って解説します。
人的資本経営の出発点は、自社の経営戦略と人材戦略を切り離して考えないことです。まず「自社はどのような価値を社会に提供し、どのような企業でありたいか(パーパス・ビジョン)」を明確にしたうえで、そのビジョンを実現するために「どのような人材が、どれだけ必要か」というストーリーを描きます。
多くの企業では、経営戦略は経営企画部門が、人材戦略は人事部門がそれぞれ独立して策定するケースが見られます。しかしこの縦割り構造こそが、人的資本経営が形骸化する最大の原因です。経営トップのコミットメントのもと、経営企画・人事・事業部門が一体となってストーリーを設計することが、実践の第一歩となります。
具体的には、以下の問いに対する答えを関係者で合意形成することから始めます。
ストーリーが定まったら、次に「あるべき姿(To be)」と「現状(As is)」のギャップを定量的に把握します。このギャップの可視化こそが、人的資本経営における施策立案の根拠となります。
To beとは、ステップ1で設計した経営戦略を実現するために必要な人材の質・量・配置状態のことです。一方、As isとは、自社が現時点で保有している人材の質・量・配置状態です。両者の差分を「人材ポートフォリオギャップ」として定量的に数値化することで、どこにどれだけの人材投資が必要か、が明確になります。
把握すべき主な指標の例は以下のとおりです。
| カテゴリ | 把握すべき主な指標例 |
|---|---|
| 人材の質 | スキルマップ、資格・専門性の保有状況、リーダーシップ評価 |
| 人材の量 | 職種別・年齢別・職位別の人員数、退職率、採用充足率 |
| 人材の配置 | 戦略優先領域への配置比率、異動・ローテーションの状況 |
| エンゲージメント | 従業員エンゲージメントスコア、離職意向率 |
| ダイバーシティ | 女性管理職比率、外国籍社員比率、中途採用比率 |
このプロセスでは、人事データの整備・統合が前提条件となります。データがサイロ化している企業では、まずHRテクノロジーや人事情報システム(HRIS)の整備から着手することが現実的です。
ステップ2で把握したギャップをもとに、具体的な人事施策を立案します。この際、「採用・育成・配置・退出」という人材フローの全体を見渡したうえで、ギャップを埋めるために最も効果的な施策の組み合わせを検討することが重要です。
施策は大きく以下の4つのアプローチに分類されます。
| アプローチ | 内容 | 施策例 |
|---|---|---|
| Buy(外部調達) | 外部から必要な人材を獲得する | 中途採用強化、リファラル採用、ヘッドハンティング |
| Build(内部育成) | 既存社員を育成・リスキリングする | 研修プログラム、リスキリング支援、メンタリング、社内公募制度 |
| Borrow(外部活用) | 外部のリソースを一時的に活用する | 業務委託、副業・兼業人材の受け入れ、出向受け入れ |
| Bind(定着・維持) | 優秀な人材の流出を防ぐ | 報酬制度の見直し、キャリア面談の充実、エンゲージメント向上施策 |
施策を立案する際には、短期的な効果を狙うものと、中長期的な組織能力の構築を目指すものをバランスよく組み合わせることが求められます。また、施策ごとに必要な予算・リソース・期間を明示し、経営層への説明責任を果たせる形に整理しておくことが望ましいです。
立案した施策を実行に移す前に、施策の効果を測定するためのKPI(重要業績評価指標)を設定します。KPIなき施策は効果検証ができず、投資対効果(ROI)の説明が難しくなるため、この工程を省略してはなりません。
KPIを設定する際には、以下の点を意識します。
KPIが設定できたら、各施策の責任者・担当部署を明確にし、実行計画(ロードマップ)に落とし込んで推進します。特に人的資本経営の取り組みは、人事部門だけで完結するものではなく、経営層・事業部門・管理職が一体となって推進する体制構築が実行の質を左右します。
施策を実行したあとは、設定したKPIに基づいてモニタリングを行い、結果を評価・開示し、次の改善につなげるPDCAサイクルを回し続けることが求められます。人的資本経営は、一度設計して終わりではなく、外部環境の変化や経営戦略の更新に応じて継続的に見直していくことが本質です。
モニタリングの頻度は施策の種類によって異なりますが、エンゲージメントサーベイは四半期ごと、人材ポートフォリオの見直しは年次など、サイクルを定めて定期的に実施することが望ましいです。
また、開示については、統合報告書・有価証券報告書・サステナビリティレポートなどを通じて、投資家や社会に対して人的資本への投資状況と成果を透明性高く説明することが求められます。開示内容は単なる実績の報告にとどまらず、「なぜその指標を重視するのか」「経営戦略とどう連動しているか」というナラティブ(物語)を伴うことで、ステークホルダーからの信頼につながります。
5つのステップを着実に実行するうえで、多くの企業がつまずきやすい落とし穴があります。実践の質を高めるために、特に意識すべき3つのポイントを以下に示します。
人的資本情報の開示が義務化されたことで、「開示すること」自体が目的になってしまうケースが後を絶ちません。しかし、開示はあくまでも人的資本経営の実践の結果を社外に説明する手段であり、目的ではありません。
開示のために形式的にデータを集めるのではなく、まず「自社の経営戦略を実現するために何が必要か」という内側の問いから出発し、その取り組みと成果を開示するという順序が正しいあり方です。開示内容の充実よりも、実態の充実を優先することが、長期的な企業価値向上に直結します。
人材施策が経営戦略と切り離された「人事部門の活動」にとどまっている限り、人的資本経営とは呼べません。施策を立案・実行するすべての場面で「この施策は、どの経営課題を解決するために行うのか」という問いを持ち続けることが重要です。
特に、KPIを設定する際には、人材指標が経営指標に与えるロジック(因果関係)を明示することが求められます。たとえば「リスキリング投資を増やすと、デジタル人材の内部充足率が上がり、新規事業の立ち上げ速度が改善され、売上成長に寄与する」といった因果の連鎖を言語化することが、経営戦略との紐づけを担保します。
他社の開示事例やベンチマークを参考にすることは有益ですが、それをそのまま模倣するだけでは、自社の独自性や競争優位性が見えない開示になってしまいます。
人的資本経営において投資家やステークホルダーが知りたいのは、「その企業が、自社固有のパーパスや戦略に基づいて、どのような人材に投資し、どのような価値を創造しようとしているか」という独自のストーリーです。
業界横断的な開示項目への対応は最低限の義務として行いながら、その先に「自社だからこそ重視するKPI・施策・考え方」を打ち出すことが、差別化された人的資本経営の実践につながります。まず自社のパーパスとビジョンを深く掘り下げることが、すべての施策の土台となります。
人的資本経営とは、従業員を「コスト」としてではなく「投資対象となる資本」として捉え、人材への投資を通じて企業の持続的な価値向上を目指す経営の考え方です。
従来の人事管理では、人件費は削減すべきコストとして扱われることが多くありました。しかし人的資本経営では、従業員のスキル・知識・経験・多様性といった「人的資本」こそが、企業の競争力の源泉であると位置づけ、その育成・活用・可視化に積極的に取り組みます。
経済産業省は、人的資本経営を「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」と定義しています。単なる人事制度の改革にとどまらず、経営戦略と人材戦略を一体化させることが本質的な目的です。
人的資本経営が必要とされる背景には、ビジネス環境の構造的な変化が挙げられます。主な理由を以下の表に整理します。
| 理由 | 内容 |
|---|---|
| 無形資産の重要性の高まり | 企業価値に占める無形資産(人材・ブランド・技術)の割合が増大しており、人材への投資が直接的な競争力につながる時代となっています。 |
| ESG投資の拡大 | 投資家がESG(環境・社会・ガバナンス)の観点から企業を評価するようになり、人材に関する情報開示が投資判断に影響するようになっています。 |
| 少子高齢化・労働力不足 | 日本国内では生産年齢人口が減少しており、優秀な人材を確保・定着・活躍させる仕組みの構築が急務となっています。 |
| VUCA時代への対応 | 変化の激しい環境下では、社員一人ひとりが自律的に考え行動する能力が求められており、そのための人材育成・組織文化の整備が必要です。 |
| 情報開示の義務化 | 2023年3月期決算から上場企業等を対象に有価証券報告書への人的資本情報の記載が義務付けられ、対応が不可避となっています。 |
これらの要因が複合的に重なることで、人的資本経営は一部の先進企業の取り組みにとどまらず、企業規模を問わず向き合うべき経営課題となっています。
人的資本経営の実践指針として経済産業省が公表した「人材版伊藤レポート2.0」では、経営戦略と人材戦略を連動させるための「3P・5Fモデル」が示されています。
3つの視点(3P)とは、人材戦略を構築・評価する際に持つべき3つの視点のことです。
| 視点 | 英語表記 | 概要 |
|---|---|---|
| 経営戦略と人材戦略の連動 | Perspective 1 | 企業の経営戦略の実現に向けて、人材戦略が整合・連動していること。 |
| As is-To beギャップの定量把握 | Perspective 2 | 現在の人材・組織の状態(As is)と目指すべき姿(To be)のギャップを定量的に把握し、対処すること。 |
| 企業文化への定着 | Perspective 3 | 人材戦略を単なる施策として実行するだけでなく、企業文化・風土として組織に根付かせること。 |
5つの共通要素(5F)とは、人材戦略において共通して実践すべき要素です。
| 要素 | 英語表記 | 概要 |
|---|---|---|
| 動的な人材ポートフォリオ | Factor 1 | 経営戦略の変化に合わせて、必要な人材の種類・数・配置を柔軟に見直す仕組みを構築すること。 |
| 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン | Factor 2 | 多様なバックグラウンドや経験を持つ人材を受け入れ、その多様性を組織の価値創出に活かすこと。 |
| リスキル・学び直し | Factor 3 | 環境変化に対応できるよう、従業員が新たなスキルや知識を継続的に習得できる環境を整備すること。 |
| 従業員エンゲージメント | Factor 4 | 従業員が企業に対して高い帰属意識・貢献意欲を持てるよう、組織や仕事への共感を高める施策を実施すること。 |
| 時間や場所にとらわれない働き方 | Factor 5 | 多様な人材が能力を最大限に発揮できるよう、柔軟な働き方を制度・環境の両面から整備すること。 |
人的資本経営のフレームワークとして、日本国内では経済産業省の「人材版伊藤レポート」で示された「3P・5Fモデル」が広く活用されています。このモデルは、経営戦略と人材戦略を一体化させ、実践的に人的資本経営を推進するための指針として設計されています。
3P・5Fモデル以外にも、国際的なフレームワークとして、ISO(国際標準化機構)が策定した人的資本に関する情報開示の国際規格「ISO30414」があります。ISO 30414は、組織の人的資本に関するデータを体系的に収集・開示するためのガイドラインであり、グローバルに事業を展開する企業においても参照される基準です。
また、米国証券取引委員会(SEC)のルール改正を受け、米国上場企業を中心に人的資本の開示が強化されたことも、日本企業のフレームワーク整備に影響を与えています。実際に自社で取り組む際は、自社の経営戦略・業種・規模に合わせて、これらのフレームワークを参照しながら独自の体系を構築することが重要です。
はい、一定の企業においては義務となっています。日本では、金融庁の内閣府令改正により、2023年3月期決算(2023年3月31日以降に終了する事業年度)から、有価証券報告書の提出が義務付けられている上場企業等を対象に、人的資本に関する情報の記載が義務化されました。
具体的には、以下のカテゴリにおける開示が求められています。
| 開示区分 | 主な記載内容 |
|---|---|
| 人材育成方針 | 従業員のスキルアップ・リスキリング・キャリア開発に関する方針と取り組み |
| 社内環境整備方針 | 多様性の確保、エンゲージメント向上、労働環境の整備に関する方針 |
| 指標・目標・実績 | 女性管理職比率・男性育児休業取得率・男女間賃金格差などの定量的な指標と目標値・実績値 |
なお、有価証券報告書の提出義務がない非上場の中小企業については、現時点では法令上の義務はありません。ただし、取引先や採用候補者・金融機関からの信頼性を高めるうえで、任意での情報開示に取り組む企業も増えています。義務・任意を問わず、開示の目的を「投資家へのアピール」に限定せず、自社の人材戦略を見直し改善するための機会として捉えることが、人的資本経営の実践において重要です。
引用
・人材版伊藤レポート
https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/pdf/itoreport.pdf
・人的資本可視化指針
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf
・Ocean Tomoの調査結果
https://to-max-gyosho.com/2024/02/12/assets/
https://oceantomo.com/intangible-asset-market-value-study/
・国立社会保障・人口問題研究所の推計
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp
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ライタープロフィール
くもと編集
マーケター兼編集者
FOC 当コンテンツの編集者。
宝飾業界と広告会社を経て2008年 FOC入社。営業や制作ディレクターを経験し、現在はWebマーケティング担当兼当コンテンツの編集を担当。
「FOCのサービスに直接関係のない記事であっても、読んでくれた方の役に立つ情報をお伝えしていきます。」
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